一般社団法人 日本写真作家協会 Web写真展  Japan Photographers Association

2013年1月17日掲載



丹羽 諭
Satoshi Niwa


No.388



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作家の池波正太郎「剣の天地」(新潮文庫)に中世の名城のひとつ、長野業政(または業正)の上州箕輪城の名がある。最近では中村彰彦「乱世の名将 治世の名臣」(講談社2012年7月)に、いの一番に長野業政が登場している。戦国時代、業政は箕輪城を拠点に関東管領山内上杉家を支え続け、上州が甲州武田氏や小田原の後北条氏に侵略されるのを防いで人々に人望があった。


箕輪城は平山城で、深堀と泥田に囲まれた面積約30ヘクタールという広大な城で、武田や後北条の軍勢を幾度も撃退して難攻不落と言われた。しかし業政が71歳で没すると、永禄9年(1566)子の業盛19歳は武田に敗れて自決、落城してしまった。その後、城は武田、織田、後北条と支配者が交代し、さらに徳川の井伊直政が城主になるが数年で廃城となってしまった。ために現在の遺構の大半は井伊氏の時代のものと考えられている。


業政はその知略と勇猛さに加えて人情も篤かった。武田信虎と信濃の村上義清に敗れた真田幸隆を箕輪城に保護していたが、武田が信玄に代替わりすると、真田家の将来を考えた幸隆がひそかに武田側に走ってしまう。恩を仇で返すことになるが、業政は幸隆の苦しい胸の内を察してわざと見逃したという。箕輪城は国指定史跡。群馬県高崎市箕郷町明屋地区。


使用カメラ:ニコン D800, レンズ:FX24-120, 28-300mm



 長野業政の上州箕輪城   Minowa Castle in Takasaki City, Gunma Prefecture

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01 搦手口 長野氏時代はここが大手門だと考えられ、泥田が広がって攻めにくい地形だった。

02 本丸脇堀切

03 城跡記念碑

04 本丸跡

05 本丸土塁

06 本丸土塁

07 土塁基礎部分 昭和57年の発掘で見つかった。

08 本丸土塁

09 御前曲輪「慰霊碑」

10 ボランティアの案内 個人や、家族連れが見学に訪れていた。

11 御前曲輪「井戸」 昭和2年8月の豪雨で一部陥没して井戸の存在がわかった。中から長野氏累代の墓石が多数見つかったという。落城時のものと推察される。

12 御前曲輪 安田一雨「芭蕉句碑」 芭蕉の奥の細道「夏草や兵ともか夢の跡」とあって、落城時の将士の死を悼んで建てたものだろう。安田一雨(江戸時代1740〜1828)は当地出身。

13 御前曲輪から見る堀切

14 二の丸「門跡」 かつてここに門があった。

15 大堀切 二の丸から郭馬出方向をつなぐ土橋に面した堀切。

16 郭馬出 大勢の軍勢を終結させた場所。二階建ての屋根付きの城門があった。

17 市内を見下ろす

18 大手尾根口方向の道

19 搦手の土塁と堀切

20 水の手曲輪 麓の法峰寺山門前にある。

21 鍛冶曲輪入口付近石垣

22 鍛冶曲輪入口付近石垣

23 鍛冶曲輪

24 三の丸石垣 高い所で4メートルある石垣が残っている。

25 三の丸石垣

26 三の丸石垣

27 三の丸通路

28 鍛冶場跡 発掘で鍛冶炉や建物跡が確認されている。

29 石上寺「双体道祖神」 搦手口近くの城の鬼門寺にある。

30 石上寺「双体道祖神」 こちらは磨耗具合からかなり古い。


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